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「博士論文インターネット公表」の現在地 1

「博士論文の公表」を振り返る

植山 廣紀

24/7/22

岡山大学

 2013年に機関リポジトリでの博士学位論文(以下、博士論文)公表が義務化されてから、10年以上が経過しました。博士課程を持つ大学は、博士論文のインターネット公表をリポジトリ担当の定型業務として取り組んでおられることと思います。私自身もリポジトリの担当者として、博士論文のデータ収集と登録を担当したことがあります。そのなかで、気になったことがありました。  学術情報の中にはさまざまな資料の形式があるなかで、なぜ博士論文はインターネットでの公表が義務化されることになったのでしょうか。また、リポジトリへの登録をして担当者の手を離れた後、どのような流れでデータが流通していくのでしょうか。  この連載では、このような一担当者としての疑問を掘り下げて、博士論文のインターネット公表の「いま」をお伝えしていきます。  第1回は、博士論文の公表の歴史を振り返ります。


博士論文と印刷公表


 まず、日本における学位としての「博士」と「博士論文」の歴史を調べてみました。資料とともに振り返ってみましょう。   日本において、学位としての博士の歴史は約130年前にさかのぼります。1887(明治20)年に定められた学位令において、博士と大博士の2つの学位が定められました(大博士は、授与されることがないまま後に廃止)。博士学位の取得資格は、①大学院に入り、試験を経た(合格した)者、②これと同等以上の者、に対して文部大臣が授与すると定められていました[1][2]。②の規定では、推薦により博士が次々と生まれる原因となりました。この、いわば「推薦博士」では、文部省が授与すると通達した文学博士号を、夏目漱石が「辞退」して騒動になったという逸話が残されています[1][3][4]。   学位授与の審査にあたって、論文の提出が要件とされるようになったのは、1920(大正9)年の学位令改正以後となりました。この時の改正で学位の授与権は文部大臣から大学に移り、同時に推薦により博士号が取得できる制度が廃止され、論文審査一本となりました[2]。また、この改正と同時に博士論文の印刷公表が規定されることになりました。 


学位令(大正九年七月六日勅令第二百号)

第六条 大学ニ於テ学位授与ノ認可ヲ申請スルトキハ論文及其ノ審査ノ要旨ヲ添附スヘシ

第七条 学位ヲ授与セラレタル者ハ授与ノ日ヨリ六月内ニ其ノ提出ニ係ル論文ヲ印刷公表スヘシ

但シ学位授与前既ニ印刷公表セラレタルモノナルトキ又ハ文部大臣ニ於テ其ノ印刷公表ヲ相当ナラスト認メタルモノナルトキハ此ノ限ニ在ラス


 このときの「印刷公表」の規定は、「学位授与の事実を明らかにし、学術研究を競わせるため」に導入されたもののようです[5]。


 戦後、「印刷公表」の規定は学位規則に引き継がれ、インターネット公表が条文に盛り込まれるまで(学位令の改正から数えると、実に約90年もの間!)、続いていくことになりました。学位規則では「博士の学位を授与された者は、当該学位を授与された日から一年以内に、その論文を印刷公表するものとする」(第九条)とされました。  学位規則による印刷公表は、学位規則制定時の文部省大学学術局長通知「学位規則の制定公布について」で「印刷公表とは、単行の書籍又は学術雑誌等の公刊物に登載することを意味する」とされていました[6]。そのため、この通知を文字通り解釈するのであれば、学術雑誌に掲載されたり、博士論文を基にした単行本を出版したりすることで、「印刷公表」の条件を満たすことができていました。ただし実際は、博士論文を学位授与大学と国立国会図書館で保管・閲覧させることになっており、これをもって「印刷公表した」とみなしてきたようです[7]。   前述の運用における課題として、博士論文は国立国会図書館と大学に納める2部のみを「印刷公表」することになるため、「学位授与の事実を明らかにし、学術研究を競わせる」という目的が達成されにくくなることが挙げられます。また、発行部数が少ないために、博士論文を利用するためには国立国会図書館か学位授与大学を訪問する、もしくは図書館間相互貸借(ILL)で複写物を入手する必要があり、利用に支障が生じていました[8]。さらに、世の中では電子化が進んでいても、「印刷公表」という条文であるがために、インターネット上での公表では足りず、あくまで「印刷」が義務付けられているとの解釈で運用がされていました[9]。


「インターネット公表」に至る経緯


 課題が顕在化するなかで、博士論文のインターネット公表について、各所より要請が相次ぐようになります[9]。

中央教育審議会の「新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-答申」(2005[平成17]年)では、「博士の学位論文の要旨及び当該論文審査の結果の要旨について,インターネット上に公開する等容易に閲覧可能な方法を用いて広く社会に積極的に公表すること」と、学位の水準や審査の透明性・客観性の文脈で博士論文の公表を求めました[10]。  また、国立国会図書館と大学図書館との連絡会のもとに設置された「学位論文電子化の諸問題に関するワーキング・グループ」の中間報告(2008[平成20]年)では、「電子的形態による提出を許容し、その後の論文の所管がどこになるのかを明記するよう、現在の学位規則第 9 条の該当箇所を改める必要がある」と述べています[8]。

さらに、文部科学省の科学技術・学術審議会 学術情報基盤作業部会の報告書(2012[平成24]年)では、「大学の社会への成果還元、さらには説明責任を果たす意味からも、学位論文の機関リポジトリへの登載を一層促進することが重要」との記述があります[11]。  これらの経緯があり、関係各所との調整や協議が行われ、パブリックコメントを経て審議された結果[9]、2013(平成25)年3月11日に学位規則の一部が改正されました。この改正で、条文から「印刷公表」という文言が消え、「公表は(中略)インターネットの利用により行う」と明記されました[12]。これにより、2013(平成25)年4月1日以降に学位を授与された博士論文は、原則としてインターネット公表されることになりました。   ここまで、博士論文の公表について振り返りました。現在は学位規則のもとで博士論文の公表がなされているわけですが、リポジトリ担当ではどのような点に気を付けて登録を進めていけば良いのでしょうか?  次回は、具体的な運用について探っていきましょう。


 

[1]佐藤剛志. (文化の扉)変わりゆく「博士」事情 かつて「名誉」、いま取得しても就職難. 朝日新聞縮刷版. 2018, 1162, p.1013.

[2]文部省. 学制百年史, 記述編. 帝国地方行政学会, 1972, p.367.

[3]漱石は東京朝日新聞社に職業作家として勤務していました。「博士問題」については、以下のように述べています。「博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている」、「余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である」 / 夏目漱石[著]. “博士問題の成行”. 漱石文明論集. 三好行雄編. 岩波書店, 1986, p.236-239.(青空文庫:https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2376_13561.html)

[4] 佐々木英昭. 夏目漱石 : 人間は電車ぢやありませんから. ミネルヴァ書房, 2016, (ミネルヴァ日本評伝選).

[5] 「学位制度ニ関スル件答申理由書」には「学位授興ノ事由ヲ明瞭ナラシメ且学術ノ研究ヲ競ワシムカ為……」との記述があります(倉内, 873p)。倉内は、推薦による博士の審査は「論文審査を必要とするということはなかったから、ときにその認定が情実にながれ、公平を欠くことになったり、博士会にたいして運動する者があったり」した(同, 909p)と指摘しています。 / 倉内史郎. "諮問第九号 学位制度ニ関スル件". 臨時教育会議の研究. 海後宗臣編. 東京大学出版会, 1960, p.869-912. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9524771, (参照 2024-03-10)

[6]大学関係法令集 昭和36年度. 文部省大学学術局, p.86. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1346655, (参照 2024-03-02)

[7]文部科学省高等教育局大学振興課. “資料4-1 学位論文の「公表」に係る法令上の取扱いについて”. 文部科学省. https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/004/gijiroku/attach/1327208.htm, (参照 2024-03-21).

[8] 国立国会図書館と大学図書館との連絡会. “「学位論文電子化の諸問題に関するワーキング・グループ」中間報告”. 国立大学図書館協会. https://www.janul.jp/j/documents/coop/gakui_20_0327.pdf, (参照 2024-03-21).

[9]文部科学省の担当職員として学位規則改正に携わった首東誠氏による報告には、インターネット公表に至る当時の経緯が詳しく記されています。 / 首東誠. 特集, 小特集:機関リポジトリのこれから: 博論OAにかかる学位規則改正を振り返って. 大学図書館研究. 2016, 103, p.24-33. https://doi.org/10.20722/jcul.1427, (参照 2024-03-23).

[10] 中央教育審議会. 新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-答申. 2005. 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業. https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13199467/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2019/04/03/1212701_001.pdf (参照 2024-03-19).

[11]科学技術・学術審議会 学術分科会 研究環境基盤部会 学術情報基盤作業部会. 学術情報の国際発信・流通力強化に向けた基盤整備の充実について. 2012. 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業. https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11125733/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1323857.htm (参照 2024-03-19).

[12]学位規則(昭和28年文部省令第9号):

(論文要旨等の公表)

第九条 博士の学位を授与された者は、当該博士の学位を授与された日から一年以内に、当該博士の学位の授与に係る論文の全文を公表するものとする。ただし、当該博士の学位を授与される前に既に公表したときは、この限りでない。

2 (略)

3 博士の学位を授与された者が行う前二項の規定による公表は、当該博士の学位を授与した大学又は独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の協力を得て、インターネットの利用により行うものとする。



 

シリーズ「博士論文インターネット公表」の現在地

 第1話  「博士論文の公表」を振り返る

 第2話 やってみよう! 博士論文のリポジトリ登録

 第3話 「国内博士論文の収集」の舞台裏!〜国立国会図書館インタビュー

 


 


文:植山 廣紀(岡山大学)
兵庫県西播磨の出身。小学生のときの職業体験をきっかけに図書館の仕事に興味をもちました。点字図書館での勤務を経て、2020年~岡山大学に入職。これまで目録→機関リポジトリの管理・システム→雑誌受入→図書・和雑誌の支払などを担当。

 

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