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Series

学術情報流通を支える人々

「このままじゃ、もったいない!」: 学術界の“常識”に挑み続ける、一人の挑戦者の本音。

永井 裕子

25/12/3

ScholAgora

学術の世界には、分厚い壁がある。研究者と社会を隔てる壁。組織と組織の間にそびえる壁。そして、私たちの心の中にある「どうせ専門家じゃないし」という諦めの壁。

その壁を壊し、誰もが知を語り合える「広場(アゴラ)」を作ろうと奮闘する女性がいる。NPO法人「ScholAgora(スカラゴラ)」代表、永井裕子さん。長年のキャリアを通じて第一線で活動する今なお、その情熱は衰えることを知らない。

なぜ彼女は、この長く険しい戦いに身を投じたのか。その原点から、日本の学術界が抱える課題、そして私たちが見るべき未来まで、インタビューにお答えいただいた。永井さんの熱量あふれる言葉の数々をお届けする。


話し手:永井裕子(ScholAgora代表)

聞き手:野中(JPCOAR広報・普及作業部会主査/京都大学)・山岸(JPCOAR広報・普及作業部会/京都大学)




すべての始まりは、ある日の「なぜ?」だった


――永井さんのキャリアの原点はどこにあるのでしょうか?


もともと大学図書館員でした。アルバイトではありましたが、逐次刊行物を担当していてインパクトファクターの話を聞くこともあったので、ジャーナルの出版ということに大変興味がありました。

そこへ、縁あって動物学会で人を探しているという話があり、事務局長になりました。



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――そこで、大きな衝撃を受けたと。


そうなんです。行ってみたら、そこがなんと、税金(科研費)を使ってジャーナルを出版しているっていうんですから! のけぞるほど驚きました。


当時私は38歳。最初の理事会ではわけもわからず、「これは、国が出版しているジャーナルなんですか?」みたいなことを言っちゃって、それはもう、理事からあれこれと言われてしまいました。「あなた何もわからないのに余計なこと言うな」とか「科研費もわかってないのに」とか言われて。


でも私、本当にわかっていないのはやっぱり先生方なのではないか?と思いました。

科研費が不採択であった年はどうやってジャーナルを出版するのだろうかと不安になりました。


――その感覚は、どこから来るものだったのでしょう?


税金を払うっていう苦しさをよく知ってるから……。うちは主人が企業のオーナーで、大きな利益を上げて好調な時期もありますが、消費税っていうものは、2年後にその年の支払いを行うのです。2年後に同じだけ儲けがあるかっていうと当然そうはいかない。景気が悪いときは税金を払うために借金をするなんてことも、ありました。


SPARC Japanがスタートして、前職の学会はそれにアプライしたので、私は否応なく取り込まれたわけですが、ここで、税金を使って仕事をしたことが、自分の中の一番大きなモチベーションになってるかもしれない。税金を使って仕事をする責任とは、単に決められたことをミスなく繰り返す「現状維持」のために、ただ正しくあれば良いというのではないと思います。社会からの「未来への投資」だと捉え、常に新しい挑戦をしながら、次の世代のためになる価値を生み出し続けることこそが、本当の責任の果たし方だと私は思います。それでも、税金で給与を受ける方々のお立場になれば、そんな簡単なものではありませんよ!とおっしゃると思います。違う立場だからこそ、勝手なことを申しているとそれもわかっています。


次の10年後の、次の人たちのために何をするかっていうことを考えるために、税金は投資されているはずなのです。だからずっと先へ先へと思って仕事をしてきました。同じことやってお金もらってやればいい、というような人生は一度も私にはありません。


「ScholAgora」に込めた、広場への願い


――NPO法人の名前を「UniBio Press」から「ScholAgora」に変えたのはなぜですか?


一つは活動を拡大したことです。UniBio Pressでは生物学分野の支援[1]でしたが、ScholAgoraでは全科学分野の支援に活動を拡大しました。それともう一つは、やっぱり「広場に集まって賢者が情報交換をする」という意味を踏まえているということですね。

だから、「Schola(学術)」プラス「Agora(広場)」。


ScolAgoraロゴマーク
ScolAgoraロゴマーク


――素敵な名前ですが、決まるまでには紆余曲折が?


名前は一緒に仕事をしてくださる方が、考えてくださいました。私は最初、その方がおっしゃる「サイエンスコミュニケーション」をもじって、「エスキャム」という名称が良いと思ったのですが。ネイティブの人に聞いたら、「SCAM(詐欺)」みたいに聞こえるからダメって言われて(笑)。一方「ScholAgoraっていうのはとてもいい」と言われたので、よしこれで行こう、と。


ScholAgoraのメンバーの一人の方は、過去のご自分の経験から大学図書館コミュニティは、学会に対して十分な貢献ができなかった、という葛藤があったようです。だからこそ、所属の枠組みも越えて、日本の学術コミュニケーションを真剣に考える「賢者」たちが集まる場が必要だと考えました。普段は交わることのない、異なる分野の人々が集まり、互いが何を考えているのかを知るための広場です。その必要性は、私自身が図書館の方から「こんなにも感覚が違うのか」と学んだ経験があるからこそ、痛いほどわかるのです。


――永井さんご自身は、普段どんなお仕事をされているのですか?


ふふふ、「全部」と言ってしまうのが一番近いかもしれませんね。よく「手が8本くらいあってやってるみたい」なんて自分でも思うくらい、本当に多岐にわたる仕事をしています。


私の仕事を理解していただくには、まずScholAgoraの前身である「UniBio Press」時代からのお話を少しだけさせてください。

UniBio Pressでの主な仕事は、日本の生物学系の学会が出版する学術雑誌を、パートナーとして支えることでした。例えば、論文を電子化して、海外の有力なプラットフォームである「BioOne」に搭載するためのデータを作成し、送付するといった実務です。その上で、ジャーナルを「購読モデル」で国内外図書館に購読していただく事が基本でした。これだけ?と思えるかもしれませんが、私は契約書を見るのもはじめてという初心者状態でした。そして、そのような私が、いくらBioOneの力を借りるとはいえ、日本の生物系ジャーナルを取りまとめて、世界へ発信するのです。「日本の生物系学会ジャーナルは世界中で読まれ得るか」「各学会はその購読料を得ることができるのか」という責任を、ひとりで背負って立っている、という気分でした。


ScholAgoraになって、その土台の上に、「各組織との連携、協働」と「個人と個人の連携」を図るという、言うは易く、行うは難い活動が加わりました。そのために、新しく、具体的に開始した活動が大きく2つ加わりました。一つは、UniBio時代とは異なる大学図書館との連携です。きっかけは「Unsub」という、大学が購読する電子ジャーナルの契約を見直すためのツールでした。

実際にいくつかの大学で試していただいたのですが、そこで示されたデータは各機関の購読と利用の「実情」を示す興味深いものでした。


私たちのミッションは、多くの方々と学術情報流通を協働して支えることにあります。私と一緒に仕事をしているある方は、Unsubを利用された大学からの様々な相談にご対応くださっています。この仕事で得られるのは月に数千円程度であるにもかかわらずです。その姿勢こそ、私たちの活動の真髄だと思います。その方は、図書館員であった方ですが、その方がおられなければUnsub支援はできませんでした。


もう一つの新しい挑戦は、未来への投資としてのオープンサイエンスの推進です。「OpenAlex」という誰でも無料で使える学術情報のデータベースが、鍵になります。OpenAlexは海外では国レベルのオープンアクセスのモニタリングにも使われており、特にURA(リサーチ・アドミニストレーター)の方々はこのツールの可能性に大変興味を持ってくださっています。彼らや大学図書館、研究者を繋ぐことで、海外の真似ではない日本独自のオープンサイエンスの仕組みを創り上げることができたら、と考えています。

そのほか、ウェブサイトの更新やセミナーの補助、会計ソフトへの入力といった部分は、それぞれに経験のある方々が、自宅勤務などでしっかりと支えてくれています。ですが、それ以外の業務は基本的にすべて私が担当しますし、連携する方々との仕事にももちろん全部関わっています。


例えば、先日事務所を引っ越したのですが、それは単に物を運ぶだけでは終わりません。法務局での登記手続きに始まり、労働局や税務署といったところへ書類を提出することなどもあります。


それに加えて、今年から大変有能な方が我々の活動に加わってくださいました。その方の力も借りながら、OpenAlexのワークショップを企画したり、図書館総合展の出展準備を進めたりと、未来に向けた活動の仕込みも常に同時進行です。常に1年先を見越したスケジュールを引き、国内外の関係者と対話するのも、私の重要な仕事です。


NPOの代表としての私が、何をしているかと思われるかもしれませんが、実際にはこうした地道で実務的な部分が、仕事の大部分を占めています。



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「何をしてくれるの?」ではなく、「一緒に何をしようか」


――その「広場」は、誰かのためのサービスを提供する場所とは、少し違うのでしょうか?


そうです、そこが一番大事な点です。一方的に何かを提供するだけの場所ではありません。まず大前提として、今の研究者の方々は本当に大変なんです。本来の研究や社会との対話よりも、研究費を獲得するための「申請書」を書くこと、多くの論文を書くことに忙殺されている。そのうえに、大学運営に関わらねばならない方も多くおられます。私は、そんな研究者をもっと自由にさせてあげたい。「野原に放ちたい」とさえ思います。


以前、ある学会の方に「ScholAgoraが何をしてくれるかはっきりすれば、学会はお金を出す」と言われたことがあります。でもね、「何をしてくれるか」じゃなくて、「一緒に何をしようか」という関係を、私たちは築きたいのです。


――まさに、利益を求める企業とは違う、NPOならではのあり方ですね。


そうなんです。でも、日本では「NPOって何かっていうこと」が、まだあまり理解されていないと感じることがあります。


例えば、個人会員になろうとすると「利益相反になるのではないか」と心配される方がいます。年会費3,500円、1日10円にも満たない金額で、その方が所属する組織に、その方に何か特別な利益を誘導する、もしくは利益を損なわせるなんてことは、あり得ません。相談した弁護士も「これをどうして利益相反だと思うのか、僕にはどうしてもわからない」と言っていました。ただ、皆様、お立場があるので、ご心配になられるお気持ちはわかります。そして、心配されているのは、ScholAgoraに参加したいというご意志をお持ちであればこそです。


日本では、NPOが「社会の共通の利益(Public Interest)」のために活動する存在だということが、まだ十分に浸透していないからかもしれません。


――過剰な心配が、かえって連携の壁になっていると。


そう感じます。お互いにWin-Winになることであっても、立場を気にしすぎて踏み込めない。例えば、業者さんと食事もできない、ちょっとしたお土産もダメ、という話もそうですよね。もちろん不正は論外ですが、過剰に萎縮して、人と人として腹を割って話す機会まで失われているとしたら、それは本当にもったいない。


もっと普通の場で、一人の人間として会って話をするってことに、日本はならなきゃいけない。常に自分が「〇〇大学の人間として」「〇〇出版社という立場で」と振る舞うのは、大変じゃないですか。



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――大切なのは、組織の肩書ではなく個人そのものであると。


私は、人の地位といったものに全然興味がありません。ScholAgoraは、個人の集まりでありたい。組織の壁を越えて、「日本の学術コミュニケーションを良くしたい」という同じ思いを持った人たちが、対等な立場で知恵を出し合う。そういう「広場」を、私たちは目指しています。


学会も、図書館も、みんなで繋がる未来へ


――ScholAgoraとして、これからやりたいことは何ですか?


学会との連携、そしてURAとの連携ですね。ただ、ここで一番大事なのは、その連携の「形」なんです。ScholAgoraとどこかの学会が1対1で繋がるだけでは不十分で、その方々がScholAgoraを通じて図書館や研究者と繋がることが大事です。


繰り返しになりますが、ScholAgoraは広場です。「みんな」と繋がらなければ、私たちのミッションは果たせません。


――「みんな」と繋がる上で、現状の課題はどこにありますか?


一番の課題であり、今一番欠けていると感じるのが、やはり学会との連携です。学会を、この大きな連携の輪の中にどう巻き込んでいけるか。そこが、これからの一番の挑戦ですね。URAの方々とは、OpenAlexという共通の関心事があるので、連携の芽はすでに出ています。多くの方が興味を持ってくださっているので、良い関係を築いていけると感じています。


さあ、あなたも「広場」の主役に


――そうした連携を阻む、見えない「壁」のようなものを感じますか?


すごく感じますね。それは「立場」とか「ルール」という名前の、壁かもしれません。


もちろん不正を防ぐルールは大切ですし、遵守すべきことは我々にはそれぞれあります。でもその前に少なくとも、学術情報流通になんらかの形で関わっているのは、自分たちではないかという意識を持つことが大事であり、皆様、おひとりおひとりが主役であるのだと考えます。


――最後に、この記事を読む人へメッセージをお願いします。


ScholAgoraの活動や会員になることについて、少し受け身になってしまったり、なかなか一歩を踏み出せない方が多いのは、本当にもったいないなと感じています。皆さん、本当は素晴らしい力をお持ちなのです。


だからこそ思うんです。私みたいな人間でも、こうやっていろんなことを考えて、諦めずに動いています。だから、この記事を読んで「自分も何かやってみようかな」と思ってくれる人が一人でも増えたら、それが何よりの希望です。



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私たちが作っているのは、完成されたサービスではありません。皆さんと「一緒に何をしようか」と考えるための広場です。この国の学術コミュニケーションの未来を支えるだけでなく、あなた自身の新しい学びにもなる。そんな仲間になってくれることを、心から信じて待っています。


私自身、皆さんから学ぶことばかりです。組織の立場は一旦置いて、一人の人間としてお話がしたい。何か分からないことがあったり、少しでも、我々の活動に興味を持たれたら、どうぞ、いつでもお気軽に声をかけてください。


みなさま、「夢見つつ深く植えよ」[2]ですよ。



▼NPO法人 ScholAgoraの活動に興味を持った方はこちら https://scholagora.smoosy.atlas.jp/ja


[1] UniBio Pressについては、こちらのイベント時の永井氏ご発表でも触れられています。

学術情報流通に関する連続セミナー第5回「オープンアクセスと日本の学会誌の展開」(2024年10月11日 研究大学コンソーシアム(RUC))https://www.ruconsortium.jp/tf/cat2/cat/gakujyutsu_seminar_5.html

[2] メイ・サートン. 夢見つつ深く植えよ. みすず書房, 1996, 247p.




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話し手:永井裕子(ScholAgora代表)
特定非営利活動法人ScholAgora代表。大学図書館での勤務(逐次刊行物担当)を経て、動物学会事務局長に就任。在職中よりSPARC Japan(国際学術情報流通促進協議会)の活動に深く関与し、日本の学術情報流通とオープンアクセス化を推進する。その後、学術雑誌の出版支援を行うNPO法人UniBioPressを設立。同法人をScholAgoraと改称し、代表として学術コミュニケーションの発展に尽力している。



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聞き手:野中雄司(JPCOAR広報・普及作業部会主査/京都大学)
京都大学附属図書館 研究支援課長。2001年北海道大学附属図書館採用、2008年から2010年にかけて北海道大学学術成果コレクション(HUSCAP)の運用に携わる。その時期のCSI委託事業において、当時、日本動物学会事務局長であった永井氏と「機関リポジトリへの登録が学術文献流通に対して及ぼす効果についての定量的解析のための文献蓄積及びデータ整理」(通称 ZS Project)に取り組む。その後、しばらく機関リポジトリを直接担当する機会がなかったが、京都大学において再び機関リポジトリに携わることになったこともあり、永井氏とも久しぶりに再会。

※ZS Project
平成21年度CSI委託事業報告交流会(コンテンツ系)【領域2】ポスター発表「ZSプロジェクトに見るOA論文の役割」
https://www.nii.ac.jp/irp/event/2010/debrief/
https://www.nii.ac.jp/irp/event/2010/debrief/pdf/p_hokudai_2-3.pdf



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聞き手:山岸瑶果(JPCOAR広報・普及作業部会/京都大学)
2020年4月京都大学に入職。吉田南総合図書館、経済学部図書室を経て、2024年4月から附属図書館にてリポジトリ業務に携わる。業務を通じてオープンアクセスを学び始めた矢先、着任2か月目で参加した国際会議で世界のリポジトリ関係者の熱量に衝撃を受ける。その熱意に触発されて参加した図書館総合展で永井氏の発表に出会い、活動に強く惹かれたことが、本インタビューの原動力となった。


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