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Review

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書評『教養としての査読:なぜ「論文」を信用できるのか』

永井 一樹

26/9/17

兵庫教育大学

 先日新聞を読んでいたら、ある記事に目が止まりました。「AIが設計 自然界にないウイルス」。コンピュータウイルスのことではなく、本物のウイルスをAIが設計し実際に機能することが確認されたという記事。背筋が凍りましたが、けれど私が気になったのは、内容ではなく、その出典の記述について。記事はこんなふうに書かれています。


“米アーク研究所などのチームが6日付の米科学誌サイエンスで発表した。昨年9月に査読前論文として公表し、今回、正式に採択された。”[1]


 私が引っかかったのは「査読前論文」という用語です。一般の読者はこれの意味がわかるのかしらと。用語の解説はありませんでした。「査読」という言葉さえ難しいのに、「査読前論文」って。それにこの部分、あらためて読むと、二文目はなくても成立するんです。「米アーク研究所などのチームが6日付の米科学誌サイエンスで発表した」。それでいいじゃありませんか。紙幅の制約があるのに、なぜわざわざ小難しい二文目を添えたのか。邪推ですが、この一文には情報の信頼性と速報性に同時に配慮しなければならない新聞特有のプライドがほの見える気がします。「昨年9月以来、皆さんご存知のことかもしれませんが、けれどもその知識はあくまで査読前の情報でありました。この度その論文が無事査読を通過し「信用」に値する知見となりましたので、ここにあらためてお知らせします」。そんな読み方もできちゃうように思えるわけです。

 ひと昔前までは一文で済んでいた出典の記述に二文を費やさねばならぬほど、研究成果の公開プロセスは複雑化しており、また「査読前論文」なる用語が新聞で平然と使われだすほど、査読にまつわるよしなしごとが「研究者たちの秘儀」を越え一般社会の側へじわじわと浸透しつつある、まさにそのような時代に本書『教養としての査読』は登場しました。

 冒頭で著者が書くように、本書は第一に研究者やその卵である大学院生・学生、出版関係者といったいわば査読関係者に向けられると同時に、第二にそれに留まらない一般読者のための「現代社会の基礎知識」あるいは「教養」として届けるべく編まれています。

 ところで、この書評を書いている私やこのウェブマガジン記事を読む多くの人がそうであるところの機関リポジトリを担当する大学図書館職員は、このターゲットのいずれにも属していないようです。さしずめ第一ターゲット寄りの中間に位置するように思われますが、その立ち位置も手伝ってか、この手の「教養本」にありがちな、素人筋には難解すぎ玄人筋には物足りない「帯に短し襷に長し」のストレスを感じることもなく、目から鱗をこぼしながらスイスイと読み進められるのが、まずもって本書の一番の魅力と言えましょう。

 目から鱗といえば、査読の歴史について書かれた第1章から、自分がいかにこのテーマに無知であったかを思い知らされることに。例えば、査読のことを英語でピア・レビューと言うけれど、なぜレフリー(審査)ではなくピア・レビューとなったのか、皆さんはご存知でしたか(知らない方はぜひ本書を)。また、査読の歴史って意外にも浅く、現在のような査読制度が定着したのは1970年代であるとのこと。1962年にDNAの二重螺旋構造の発見でノーベル賞を受賞したワトソンとクリックの論文が査読を経ていなかったり、アインシュタインが自身の論文を査読に回されたことに激怒したエピソードなんかが散りばめられ、この辺はまるでNHKの『映像の世紀 バタフライエフェクト』を見ているかのように、ぐいぐいと引き込まれます。

 第2章以降はそんな査読制度が抱える問題とその克服への試みが、ぐんと解像度を上げて語られていきます。

 査読に時間がかかりすぎるという第一の問題には、査読前に論文を公開するプレプリント・サーバの誕生と三十年にわたる紆余曲折が詳しく描かれ、続く査読者不足という問題に対しては、不採録となった論文の査読レポートを別誌で再利用するカスケード査読やポータブル査読といったアイデアによって、無駄を削ぎ落とした「査読のエコシステム」を築こうとする試みなどが紹介されます。そして査読者のバイアスという第三の問題に対しては、例えばポジティブな研究結果(仮説が立証されたり、統計的に有意な結果)の方が採択されやすいという「出版バイアス」を正すため、実験内容を事前に登録させて捏造や改ざんを防ぐプレレジ(事前登録)やレジレポ(事前登録論文)といった取り組みが取り上げられていきます。

 いずれも、著者による本ウェブマガジンの人気連載「かたつむりの気になる国際動向」などで断片的には見知っていた話ではありますが、こうして「査読」という糸で全体を通し一冊の本に綴じられることで、読者の理解に納得と膨らみをもたらしてくれるのが「教養本」のすばらしいところ。

 それにしても、舞台裏のイメージがあった査読の世界にこんなにも多様な研究の光が差していて、実践面でも数多のトライアンドエラーが繰り広げられてきたことに驚くばかりなのですが、ところがどっこい、その努力を嘲笑うかのように、第5章「査読における不正」では学術出版ビジネスに群がる魑魅魍魎たちの企みの数々を聞かされるに及び、ため息が出るばかり。例えば「ハゲタカ出版」とか「捕食出版」などと呼ばれるのがその代表ですが、ただし著者によればその悪質性にもグラデーションがあるらしく、ここで魑魅魍魎と名指すのは「粗悪」ではなく「邪悪」の方の出版社。著者から論文投稿料(APC)を巻き上げることただそれだけを目的とした、査読実態の全くない雑誌のことで、世界に13,000誌以上も確認されているのだそう。

 悪質な不正は出版社だけでなく、たとえば著者が他人になりすまし自身の論文の査読者となる「査読ハック」だとか、果ては論文の著者になる権利を売りさばく「論文工場」と呼ばれる闇ブローカーも暗躍しているとのことで、ここまで来るともう水戸黄門の悪役の世界ではないですか。

 しかし、それもこれも元はといえば学術出版市場の相場をつり上げてきた既存の商業主義的学術出版社の罪も大きいんじゃないのと眉をひそめることにもなり、第6章「掲載誌が高すぎる」を読みながら、「お主たちも悪よのう」と愚痴っている自分がいました。せめて出版社が築いた富のいくらかでも査読者に分配するしくみがあればいいのにと思うけれど、査読というものは昔から無償の行為と相場が決まっている様子。さすがに近年は査読有償化の議論も出ているそうですが、なんと反対が多数派とのこと。たしかに、査読コストの原資を出せる儲かっている雑誌にばかり査読者が集中してしまったり、査読コストを購読料やAPCに上乗せして、さらなる値上がりを招くリスクを指摘されれば、なるほどそりゃそうだと納得するし、そもそも査読者(研究者)にとっては、金銭のインセンティブは高くないのだそう(羨ましい)。ならば、せめて査読がきちんと研究者の業績になればいいのですが、査読というのはそもそもクローズドな環境で行われる匿名的な活動のゆえ、業績化の道も険しいようで、本書を読み進めるほどに、いぶし銀のように科学の発展に貢献するアンサング・ヒーローとしての世の査読者のみなさまに、感謝と尊敬の念を禁じえません。

 最終章で語られる「オープン査読」が業績化のインセンティブへの光明になりそうで、さらには上述の査読不正への抜本的な対策にもつながることが期待され、単純な私などは「これからの査読はもうこの一択っしょ」などと気持ちを明るくしましたが、このオープン査読を始め、本書で語られてきた数々の取り組み(プレプリント・サーバ、ポータブル査読、プレレジ、レジレポ、オープンアクセス誌など)をフル装備した「オープンサイエンス全部盛り」と著者が注目する雑誌『Lifecycle Journal』が最後に登場。この雑誌、2025年から3年間のパイロットプロジェクトとして現在進行中とのことで、つまり、読者はここでようやく査読の現在地にたどり着くというわけです。

 ところで、私はかつて、有田正規氏の『学術出版の来た道』(岩波書店、2021)の書評を書かせていただいたことがあるのですが[2]、今回はさらにニッチな「査読の来た道」をたどる旅となりました。「それ」を知るためにまずは「それが来た道」を知ってみること。それが、遠回りだけれど結局は近道となるという学びの神髄を、本書もまたしみじみと教えてくれます。


<今回の本>



書名: 教養としての査読 : なぜ「論文」を信用できるのか

著者名: 佐藤翔

出版社: 中央経済社

出版年: 2026

ISBN: 978-4-502-56861-9



〇あわせて読みたい関連記事(JPCOARウェブマガジン)


佐藤翔「かたつむりの気になる国際動向」

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[1] AIが設計、自然界にないウイルス 米誌に発表、テロ懸念も. 『朝日新聞』2026-8-9, 朝刊

[2] 永井一樹. 書評 『学術出版の来た道』. JPCOAR Newsletter CoCOAR. 2022. No.14, p.11-12.

 https://doi.org/10.34477/0002000144



文:永井一樹(兵庫教育大学)
1977年生まれ。学生時代に太宰治に傾倒したせいか、友達ができず、図書館引きこもりに。社会人になっても引きこもりを続けるべく、公共図書館等をハシゴした後、2003年に兵庫教育大学附属図書館に就職。以後20年以上同館で引きこもりを継続してきたが、さすがに外の空気が吸いたくなり、近年は青空教室企画BLUE CLASSや東経135度上の図書館が連携する「135°立図書館プロジェクト」に取り組む。

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